37, 飛騨春慶(日本遺産構成文化財)
高山を代表する伝統工芸 飛騨春慶は約400年前に高山で生み出された漆器です。 江戸時代初期、木工が持参し打ち割ったサワラの木の美しい木目を生かすため、後に宗和流茶道の開祖となる金森宗和が、透明な漆で盆に仕上げるよう命じた […]
高山を代表する伝統工芸 飛騨春慶は約400年前に高山で生み出された漆器です。 江戸時代初期、木工が持参し打ち割ったサワラの木の美しい木目を生かすため、後に宗和流茶道の開祖となる金森宗和が、透明な漆で盆に仕上げるよう命じた […]
近世飛騨大工の技術を伝える資料 「飛騨内匠流大工秘密傳受」「飛騨守匠流秘事抜書」とともに、飛騨内匠流の大工の作法や、屋根の曲線の出し方などを記したものの一つです。当時の様子がわかる貴重な資料となっています。 この「番匠取 […]
名匠の時代の貴重な資料 「飛騨内匠流大工秘密傳受」「番匠取締規定書」とともに、飛騨内匠流の大工の作法や、屋根の曲線の出し方などを記したものの一つです。当時の様子がわかる貴重な資料となっています。 この「飛騨守匠流秘事抜書 […]
飛騨の大工の作法などを記す 「飛騨守匠流秘事抜書」「番匠取締規定書」とともに、飛騨内匠流の大工の作法や、屋根の曲線の出し方などを記したものの一つです。当時の様子がわかる貴重な資料となっています。 この「飛騨内匠流大工秘密 […]
木の美しさを生かした彫刻 一位一刀彫は江戸時代後期、色彩を施さず、木そのものの美しさを生かした彫刻として完成されました。 飛騨地方の木材の象徴ともいえるイチイの木を用いており、年月が経つにつれて木肌や木目の色艶が深くなり […]
名工による大工の雛形本 正徳2(1712)年、名工松田太右衞門によって書き写された大工の雛形本で、技術伝承の様相を伝えています。 太右衞門は、同じく名工と呼ばれた又兵衛の子で、松田一門の中でも多くの作品を残しています。国 […]
高山の職人技術を結集した傑作 高山祭屋台は、大工、彫刻、漆をはじめ、飾金具、鍛冶など高山職人たちの技術の粋を結集してつくられた傑作です。 江戸型の山車を祖形とし、上方の装飾やからくり人形を取り入れたもので、からくり人形を […]
白洲正子も絶賛した木製しゃくし 江戸時代以来、久々野地域の有道地区に伝わる木製のしゃくし。 地区の寺院や神社を建築した大工の庄五郎が京都へ働きに行った折に習得し、有道地区に伝えたというのが定説となっています。 しゃくしづ […]
崇敬を集める飛騨匠の祖 藤原宗安(ふじわらのむねやす)は、鎌倉末期から室町時代にかけて活躍したと伝えられる伝説の名工です。飛騨の大工としては初めて受領名と、職人として最高の飛騨権守(ごんのかみ)の地位を受けました。 応長 […]
全国自然100選地、岐阜県名水50選地に選定された約800ヘクタールの県立自然公園で、しぶきをあげて落下する滝群は四季折々に装いを変え、まさに秘境そのものです。名づけられた13の滝のなかでも王滝は高さが18.8メートルあ […]
安国寺裏山に広がる約19ヘクタールの緑の中に、西国三十三か所札所巡りを擁する鎮守の森です。 1000段の石段があり、頂上(標高約850m)の展望広場からは、乗鞍や御嶽、白山連峰などの大パノラマが満喫できます。眼下には、荒 […]
岐阜県内最大級の石室を持つ、こう峠口古墳。全長70メートルの前方後円墳。飛騨地方では最大の古墳です。石室の高さは、3メートル、奥壁まで13.5メートルと県下最大の大きさです。付近の字名にちなんで、こう峠口古墳と呼ばれてい […]
この大仏は、地元では「木曽垣内のおおぼとけ」といわれています。仏身の丈は2m、仏の顔の長さは0.6m、肩幅は1m余りです。蓮華座に座した阿弥陀如来像は、いわゆる丈六像といわれるもので、飛騨地方では例のない木造如来像です。 […]
清峯寺にある円空仏三体は、円空の代表的な名作といわれています。円空が、1690年頃この地に滞在し桧材に一刀彫りしたものと伝えらえています。中でも特に、最高傑作といわれる千手観音は、円空が残した全作品の中で数体しかない大変 […]
飛騨地方では数少ない安産・子宝の観音さまです。地元では「宮地の観音さま」と親しまれて、祈願に訪れる人が絶えません。創建は1194年と古く、ご本尊は如意輪子安観世音菩薩です。江戸時代には、高山城主の金森長近も参詣したといわ […]
鉦打ちは、14歳くらいまでの子どもたちがおこない、二名が鉦大将として指揮に当たり、以下締め太鼓、鉦打ちとして演技します。「イーコイ」と呼び、四連打の鉦で左右に踊り、その他の鉦で下打、回転、移動をするよう工夫されたもので、 […]
宮地地区に位置し、本殿は室町初期の三間社流造り、柿板葺き。神社の創建は古く、延喜式神明帳(927年)に飛騨国内の八社のひとつとして記されています。祭神は河伯大明神、つまり川の神、水の神とされています。明徳元年(1390年 […]
宗猷寺に残る93基の墓 木地師とは、良質な木材を求めて山々を渡り歩き、ろくろを使って木材から椀や鉢、合子などの日用器物をつくる職業集団のことをいいます。 伝承では、弟に立太子を先んじられ近江小椋郷に隠棲した、文徳天皇の第 […]
松田太右衞門による神社建築 元々は日枝神社の本殿として、寛延元(1748)年に建てられた、松田太右衞門による現存数が少ない神社建築です。流造りに千鳥破風、軒破風を取り入れた屋根形態で、珍しく極彩色が施されています。 昭和 […]
屋根の形が美しい名工の作 国分寺表門は元文4 (1739) 年、名工松田太右衞門の作です。飛騨の代官であった長谷川忠崇の手代で、小林儀右衛門ら4人の寄進により建てられました。 特に屋根の形が美しく、冠木上に架せられた板蟇 […]
松田一門による鐘楼 松田家は江戸時代前期から活躍する大工の家系で、大雄寺鐘堂は松田一門の建築群の一つです。 高山市愛宕町の大雄寺にある大雄寺鐘堂は、元禄2(1689)年、松田又兵衛の作です。「大雄寺記」には、元禄2年2月 […]